猫は小さな犬ではなく、ましてや人間でもありません。猫はどこまでも猫であり、それを十分理解してはじめて望ましい共棲のあり方が見えてきます。
人間と現在のイエネコとの共棲関係が始まったのは今から五千年ほど前、それまで猫達は専ら山野に棲息する鼠などを食べて生きてきましたが、当時、人間が生活する場所にも貯蔵された穀物などを食害する鼠がより多く棲息していたため、それを知った猫達は豊富な餌を求めて人間の集落に出没し始めます。
人間の側にすれば、自分達に危害を及ぼすほどの危険な野獣ではないうえに食糧を食い荒らす害獣の鼠を捕ってくれるため、その鼠を狙って家屋内に侵入してきた彼らを人間はあえて排除することなく、食事の残り物を与えるなどして逆に保護していたと思われます。
その結果として、餌に困らないばかりか暑さ寒さや雨露が凌げるうえに何よりも外敵に襲われる心配がない人間の家屋は、いつしか猫達にとっても安全で快適な巣穴のような存在となり、危害を加えられる心配のない人間に警戒心を抱くことなくそこで睡眠をとったり出産や子育てまでも行うようになります。
かくして鼠という共通の目的を介して、人間側の都合思惑と猫側のそれとが見事に合致したことで双方が利益を甘受する相利共生の見本のような共棲関係がこうしてスタートし、その後五千年という歳月を経て現在に至っているというわけです。
その間ずっと猫達は自らの意志で、飼い主を自認する人間の家屋を住処(巣穴もしくは休息場所)として利用するとともに、その周囲にテリトリーや生活圏を確保して気侭に活動する自由生活者の道を歩んできたわけです。
この状況は人間に飼われてきたというよりも、人間と同居してきたという言い回しのほうがぴったりきます。それが現在のように、多くの猫達が生活の場を屋内だけに制限されるなど文字通りイエネコとして飼育されるようになったのは、世界各地で都市化が急速に進行してきたここ数十年の間にすぎません。
言いかえれば、僅かこの数十年の間に都市部を中心に環境が激変し、鼠捕りというかっての人間と猫の共通の目的がほぼ消滅するとともにかわって多くの人間が愛玩目的でのみ猫との関係をもつようになったことで、それまでの人間と猫との共棲関係のあり方が急激に変化してしまったということです。
前置きが長くなりましたが、要は猫という動物はおよそ五千年もの間、人間とともに生活しながらそれにおもねることなく終始一貫して自主自立の生き方を貫いてきた、あたかも家畜の皮を纏った野生動物とでもいえる存在なのです。
それは、一般に野生動物を家畜化するためには何世代にも及ぶ選択的な繁殖が必要とされるのに対し、こと猫に関しては近年までそのような人為的に管理された繁殖が行われてこなかったため、その祖先とほぼ同じ習性がいまだに色濃く受け継がれているからです。
とはいえ、自らの力だけを頼りに生きるしかない過酷な野生の世界ではなく、人間の造った文明社会に身を置いて生活している今の猫達の場合は、飼い猫は言うに及ばず野良猫ですらも何らかの形でその庇護や恩恵に与れるため、今後彼らが実際にその内なる習性に依存しなければならない機会はほとんどないと言ってもいいでしょう。
例えば、野生の世界で生きている動物にとっては、日々の生活において命の糧となる水や食べ物を確保することと、天候などの自然の脅威や外敵から身を守ることは最も重要な問題でありそのために多くのエネルギーが費やされますが、人間に飼育されていたりその身近で生活する猫達にかぎって言えばこの問題で苦労することはまずありません。
さらには、人間からいつでも餌をもらえるのでそれを占有するための排他的エリアとしてのテリトリーも必要ないし、人間の手で避妊去勢されてしまえば自らの子孫を残すためにライバルの侵入を阻止し異性を確保するためのテリトリーも必要なくなります。とは言えそれへのこだわりは失っていませんが。かくして生活圏は限りなく縮小するものの、命をつないでゆくための熾烈な闘争からは解放されたわけです。
したがって、屋内に閉じ込められたり群れて生活することを余儀なくされるなど、これまででは考えられないあたかも人間の都合を一方的に押しつけられたかのような生活環境にも健気に順応して生きているように見えるのは、裏を返せば自分達にとって都合の良い生活であったがために彼らが自らの意志でそれを受け入れた種を存続させるための生存戦略と言えなくもありません。
昨今、完全室内飼いの猫もいれば家の内外を自由に行き来させてもらえる飼い猫や、はたまた人間の身勝手な都合で飼育放棄され理不尽な野良猫生活を送る猫もあるといったように彼らが置かれた状況は様々であっても、つまるところは種を存続させるための必要条件がそこに揃っている限り今後も彼らは人間の都合を甘んじて受け入れるのでしょう。飼育放棄の末の殺処分といったおぞましい仕打ちですら、人間との共棲においては諸刃の剣として織り込み済みなのかもしれません。
ただし、猫達にはそうした種としての一見守勢的な戦略的行動とは別に、媚びず、おもねず、従わずという特性が今も健在であり、それが彼らをして干渉を好まぬ独立自尊の精神をもった孤高の自由生活者たらしめているわけで、言ってみればそれこそが野生の時代から今に至るまで猫が猫であることの証でもあります。
人間と猫達とがお互い共通の目的のために共棲していた時代は、相手への干渉が目的ではないためつかず離れず適度な距離を保って生活することが可能でしたが、愛玩という一方的でまさに相手に干渉することを目的とするような共棲の場合は、かってのような関係を維持することは望むべくもなく、逆に過干渉による弊害で多くの猫達に親離れ前のような幼児化が進行しています。
そのように近年になってから人間と猫との間に生じた新たな共棲関係は、先に述べたような彼らの特性に対する人間側の理解が不足していれば、かっては犬がそうであったようにいずれは無意味で行き過ぎた選択的繁殖が横行し、まるで犬と同じ特性を持った従属的な猫が作られるなど猫が猫でなくなるような多分に彼らの種としての権利が侵害されるであろう事態を招きかねません。
そこでまずは飼い主に求められることは、彼らの特性を十分に理解しそれをありのままに受け入れてやることであり、その自立した生き方を尊重しようと思えば本来猫へのしつけなどは無意味なことです。ましてやそれを犬のしつけの場合のように、支配従属の関係を前提とした社会的ルールに従わせるのと同じイメージで捉えているとすればまさに論外でしょう。そんなことを押しつけられることによるストレスは言わずもがなです。
それでもあえてしつけを考えたいのであれば、人間にとって都合が良いことが猫にとっても都合が良いことになるようにうまくお膳立てを工夫したり、そのように仕向けたりすることで彼らの行動なりをこちらが期待する方向に誘導すればいいのです。決して従わせるのではなく、あくまでも彼らの主体性を尊重するということです。
余談になりますが、野良猫のような自由生活をしている猫が何かのきっかけで家に居ついた場合でも、そのうちその生活環境が彼にとって著しく不都合になれば家に寄りつかなくなるなど自分から明確に拒絶します。すなわちそこが住処としては必ずしも安全で快適な場所ではないと感じ、生活圏内でほかにもっと適当な場所が見つかればためらわず住処を移します。
完全室内飼いではなかった時代には、本来家に付くはずの猫の家出が見られました。環境的に著しく不都合なことが生じ「こんなところにはいられん」となればそんなことも起きます。しかしながら完全室内飼いの猫にはその選択肢がないため、同じような事態になればひたすら強いストレスを抱えながら不都合な環境に甘んじ続けなければならなくなります。環境への依存度の強い猫にとってこれは堪えます。
いずれにせよ、要はこちらの都合をどれだけ押しつけたところでそれが彼らの都合に合わなければ、こちらの思惑などは一切お構いなしに嫌なものは嫌だし駄目なものは駄目とはっきり拒絶されるので、それ以上の押しつけをしないことが猫との付き合いを円滑にするコツです。その点こちらが変に気を使う必要はなく負い目を感ずる必要もありません。
最後にひとつ。自宅の庭などに居ついた野良猫を家に迎え入れようと考えておられる方へ。そういった猫を完全室内飼いにすることはかなり難しいでしょう。それは自宅を含めた辺り一帯が彼にとっては生活圏であり、あなたの家はその一部という位置づけに過ぎないからです。住処として利用したとしても終日室内に閉じ込められた状態になった途端に、多くは外へ出せと行って大声で鳴き続けその際にはかなりのストレスが生じています。
ただし、引っ越しなどでほかの場所に転居した場合は状況が一変します。それは全く新しい環境に移されることにより従来の生活圏が完全にリセットされるためで、新居では始めから外に出さないようにすれば室内だけが新たな生活圏として再構築されることになり外に出る必要がなくなるからです。家に居ついた野良猫を保護して室内飼いに移行させる場合にはこの方法はかなり有効ですが、そう簡単に引越しはできませんね。
「ネコたちをめぐる世界」
日高敏隆 著
/小学館
「うちの猫が変だ!」
ニコラス・ドッドマン 著
池田雅之・伊藤茂 訳
/草思社
「ネコの心理学」
マイケル・フォックス 著
丸武志 訳
/白揚社
「猫と話しませんか?」
パトリシア・モイーズ 著
深町眞理子 訳
/晶文社
「あなたの猫の偏差値は?」
加藤由子 著
/ワニブックス
「猫たちの隠された生活」
エリザベス・トーマス 著
木村博江 訳
/草思社
「動物たちは
どんな言葉を持つか」
スティーブン・ハート 著
今泉忠明 監修
平野知美 訳
/三田出版会
「ネコの毛並み」
野澤謙 著
/裳華房
「よいネコ、わるい癖
・part1」
アリス・レア 著
安川明男 監修
月谷真紀 訳
/翔泳社
「三毛猫の遺伝学」
ローラ・グールド 著
七戸和博・清水眞澄 監修
古川奈々子 訳
/翔泳社
「ボブトいう名の
ストリート・キャット」
ジェームズ・ボーエン 著
服部京子 訳
/辰巳出版
「それでも猫は出かけていく」
ハルノ宵子 著
/幻冬舎
「猫たちの神話と伝説」
ジェラルド&
ロレッタ・ハウスマン 著
池田雅之・桃井緑美子 訳
/青土社
「幸せになる猫との暮らし」
小暮規夫 監修
/ベネッセコーポレーション
「すぐわかるあなたの
猫の知能指数」
メリッサ・ミラー 著
飛田野裕子 訳
/ソニーマガジンズ
「猫の王」
小島よしゆき 著
/小学館
「猫のしくみ」
アキフ・ピリンチ&
ロルフ・デーゲン 著
今泉忠明 監修
鈴木仁子 訳
/早川書房
「ねこ その歴史・
習性・人間との関係」
木村喜久弥 著
/法政大学出版局
「猫に精神科医は必要か」
P・ネヴィル 著
竹内和世・竹内啓 訳
/講談社
「よいネコ、わるい癖
・part2」
アリス・レア 著
安川明男 監修
月谷真紀 訳
/翔泳社
「動物たちの戦略」
日高敏隆 著
/読売新聞社
「キャット・ウォッチング」
デズモンド・モリス 著
羽田節子 訳
/平凡社
「キャット・ウォッチング
・Part2」
デズモンド・モリス 著
羽田節子 訳
/平凡社
「キャッツ・マインド」
ブルース・フォーグル 著
増井光子 監修
山崎恵子 訳
/八坂書房
「ネコの行動学」
パウル・ライハウゼン 著
今泉吉晴・今泉みねこ 訳
/どうぶつ社
「ネコのカウンセリング」
ブルース・フォーグル 著
日高敏隆 監修
太田收 訳
/八坂書房
「動物のことば入門」
ウルリッヒ・クレバー 著
増井光子 監修
林進 訳
/どうぶつ社
「人が動物たちと話すには?」
ヴィッキー・ハーン 著
川勝彰子・小泉美樹
・山下利枝子 訳
/晶文社
「ペットと暮らす
行動学と関係学」
桜井富士朗・尾形庭子
・斎藤徹・岡ノ谷一夫 著
/アドスリー
「犬の感性猫の天性」
前川博司 著
/山手書房新社
「動物と話す本」
増井光子 著
/主婦と生活社
「ネコのこころがわかる本」
マイケル・W・フォックス 著
奥野卓司・新妻昭夫
・蘇南耀 訳
/朝日文庫
「フォックス博士の
猫の相談室」
マイケル・W・フォックス 著
石田滋雄・山際大志郎
・中牟田信明・五井祥子 訳
/日本ビスカ出版部